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福岡高等裁判所 昭和35年(ネ)419号 判決

旭相互銀行

理由

一、訴外中村嘉一が昭和二八年九月二一日から同三〇年一二月八日まで、相互銀行である控訴銀行松橋支店堅志田出張所長であつたことは、当事者間に争がなく、証拠によると、中村嘉一は有明殖産無尽株式会社と毎日殖産無尽株式会社とが、昭和二六年五月二四日合併して、大平殖産無尽株式会社が成立した直後の同年六月以来、大平殖産無尽株式会社堅志田営業所長兼支店長代理として同営業所に勤務し、昭和二八年九月控訴銀行が同会社の営業全部の譲渡を受け(昭和二六年法律第一九九号附則第五項・現行法同第六項参照)、(原審証人春山秀雄の証言中営業一部を譲り受けた旨の部分は信用しがたい)同営業所が控訴銀行堅志田出張所(営業所)として発足した後も引き続き前示のとおり同出張所長として勤務したことが認められ、これに反する証拠はない。

二、被控訴人らは各その主張の預金を控訴銀行堅志田出張所長(被控訴人松田スエ子、結城ミツはその前身大平殖産無尽株式会社堅志田営業所長兼支店長代理)中村嘉一を通じて同出張所(上記二名は同無尽会社の営業所)に預金したので、その効果は当然控訴銀行に及ぶと主張し、控訴銀行はこれを争い、被控訴人らは右出張所長として勤務する旁、個人として金融業を営んでいた中村嘉一個人に金員を貸しつけたものであると主張するので検討する。

(一)  原審及び当審における被控訴本人の各尋問の結果に、当時の無尽会社、相互銀行の預金掛金の募集が営業以外でなされたことの多いという一般周知の事実を参酌して考えれば、預金残高(現在高)の点はしばらくおいて、大平殖産無尽株式会社堅志田営業所長兼支店長代理、控訴銀行堅志田出張所長(以下両者を併せて所長と略記する)は本店のために各種預金(掛金)受入の権限を有し、得意先を開拓して預金(掛金)を勧誘募集してその吸収をなすことが所長の主たる任務とされていて、被控訴人らはいずれも所長中村嘉一との間に被控訴人松田スエ子は前示無尽会社、被控訴人結城ミツは同会社後に控訴銀行、その余の被控訴人ら九名は控訴銀行と取引を開始して預金をなし、所長中村嘉一も被控訴人らとの間に、同会社(堅志田営業所)・同銀行(堅志田出張所)名義をもつて、同会社・銀行のためにすることを示して、本件預金を受け入れたものであつて、被控訴人らと中村嘉一個人との取引でないこと(なおこの点後記認定参照)が認められる。

(二)  控訴銀行の内規上、出張所長名義の預金通帳は発行しないで、発行する場合は所轄支店長名義をもつて発行することになつていることは、証拠によつて認められるけれども、出張所長がこれに違反して出張所長名義をもつて預金通帳を発行したからといつて、特殊の事情のないかぎり所長の預金受入の権限が否定されて、本店への預金とならずに、その預金が出張所長個人への預金となる道理はなく、ことに証拠によれば控訴銀行の出張所長は随時無制限に多数の者から預金を受け入れ権限があるところから、支店が一通ごとに預金通帳を発行することは、事務上不便であるため、実際は出張所長名義をもつて預金通帳を発行する取扱であることが認められるので、いずれにしても、出張所長名義で預金通帳が発行されたということは、それだけでは、控訴銀行に対してなした預金でないということにはならない。

(三)  控訴銀行は、本件預金が中村嘉一個人に対するものである事情として、同人は個人として金融業を営んでいたもので、本件預金の受入場所は砥用町井上チドリ方で、控訴銀行堅志田出張所の窓口ではないことを強調し、本件預金は控訴銀行に対する預金でないと認むべきであると主張するが、前説示のように預金の募集拡大を主要任務とする中村所長としては、預金争奪戦の激烈な各種金融機関の間に伍して、相当目標額の預金を獲得して本店に対する自己の立場を良好優秀ならしめるためには、たんに営業所の窓口に坐して顧客を待つのみでは到底不可能であるため、当時各種金融機関のとぼしかつた砥用町方面の預金を吸収するため、井上チドリ方に進出し、同所を大平殖産無尽株式会社堅志田営業所の連絡所、ついで控訴銀行が同会社の営業全部を譲り受けた後は、控訴銀行堅志田出張所の連絡所として、この連絡所あるいは被控訴人らの自宅等において募金をしたものであることは、右(一)に掲げる各証拠及び当審検証の結果、中村嘉一の第三回証言によつて右連絡所の看板の写真であることを認める甲第四一号証の一、二を総合して認められるが、このことからただちに本件預金の相手方が、前示無尽会社・控訴銀行でなく、中村嘉一であると認定しなければならないものではなく、たとえ中村嘉一が上司に無断で連絡所を設けたものであるとしても、また右連絡所は営業所であり、営業所たるこの連絡所の設置について無尽業法第八条、相互銀行法第九条の規定による大蔵大臣の認可を受けていないことは、右(一)の各証拠に照らし明白であるが、無尽業法第八条第三号相互銀行法第九条第四号の規定は、取締監督上の命令規定であつて効力規定ではなく同規定に違反して営業所が設置されたことにより、無尽会社、銀行が監督行政庁から行政上の処分を受くることのあるのは格別、その設置された営業所における私法上の取引行為(預金行為)をただちに無効ならしめるものではないと解すべきであるから、預金取引の相手方が大平殖産無尽株式会社、控訴銀行であるとの前示結論に消長を及ぼさない。

また、相当の資力ある大平殖産無尽株式会社や控訴銀行の所長中村嘉一が預金の勧誘をなし相手方がこれに応じた場合に、たとえたんに一所長に過ぎない中村嘉一が旁当時個人として金融業を営んでおり、かつこれを相手方が知つていたとしても、その個人金融業は公然たる表向きのものでないことは当事者弁論の全趣旨に徴し明らかであるので、相手方たる被控訴人らは格別の事情のないかぎり、有力会社の所長たる資格においての中村嘉一と取引をなしたもので、個人たる中村嘉一と取引したものでないと推認するのが相当であり、いわんや被控訴人らにおいて中村嘉一が取引当時個人として金融業を営んでいたことを知つていたというなんらの証拠もない本件においては、なおさらのことである。

所長中村嘉一が右連絡所において預金の勧誘、受払に使用していた森川親、高津誠が控訴銀行として関知しない者であるにしても、このことは控訴銀行の前示主張を支持しうるものではなく、右連絡所備付の電話加入権は控訴銀行主張のとおり中村個人の権利で、電話番号簿にも金融業中村嘉一個人の権利として登載されていることは、中村嘉一の第二回証言によつて明らかであるが、このようなことは外部一般預金者の知るところではないばかりでなく、同証言によれば、大平殖産無尽株式会社当時の連絡所の時以来控訴銀行の時代になつて同銀行砥用連絡所と称してからも主として社用に使用され、電話料金は松橋支店長の承認の下に、右会社、控訴銀行の費用負担において支弁されたものであることが認められるので、右の事実も控訴銀行の前示主張を肯認するに十分でない。

(四)  控訴銀行は、被控訴人らと中村嘉一と間になされた預金の約定は月一分ないし月三分の高利であつて、無尽・銀行業務として成り立たないことは算数上明らかであるから、本件預金契約は大平殖産無尽株式会社・控訴銀行との間に成立したものではないと主張するので検討するに、証拠を総合すれば、被控訴人らは金利が高いから、前示無尽会社・控訴銀行への預金ではないという認識はさらになく、同会社・控訴銀行に対する預金として所長中村嘉一との間に預金取引をしたものであることが認められるので、金利が高いということから直ちに、同会社・控訴銀行に対する預金でないと推論することはできない。よつて控訴人らの主張は採りがたい。しかし、控訴銀行主張のように大蔵省告示をもつて所定金融機関の普通預金の金利は当時最高一〇〇円につき日歩六厘と定められ、前示満留義雄の証言及び当事者弁論の全趣旨に依れば、所長中村嘉一は本件各受入れ預金につきその金利を日歩六厘とする取引についての権限を有したことが認められるので、本件預金の金利は被控訴人ら請求のとおり一〇〇円につき日歩六厘と認むるのが相当である。

三、控訴銀行は松田スエ子、結城ミツの預金は大平殖産無尽株式会社に対するものであり、預金通帳も同会社用のものであるし、右両名の同会社に対する預金は控訴銀行が譲り受けた同会社の営業財産中に包含されておらず、従つて控訴銀行において引き継ぎを受けていないと主張するので判断する。

(一)  証拠によれば、松田スエ子は昭和二七年一一月二二日金一〇万円を前示無尽会社に預け入れ、その後四回にわたり金二五、二三〇円を払い戻しているので、昭和三〇年一二月四日現在の預入残高は金七四、七七〇円であること(甲第六号証の二には、右一〇万円の外前後一五回にわたり金二七、二二四円を預け入れた旨の記載があるが、これは所長中村嘉一との間における無効の高金利契約による利息を振替記入したものであること)が認められる。

(一)  証拠によれば、被控訴人結城ミツは、前示無尽会社に対し、(イ)昭和二七年一一月一一日金一二五、〇〇〇円、(ロ)同年同月一七日金一〇万円、(ハ)昭和二八年二月五日金七、〇〇〇円、控訴銀行に対し(ニ)昭和二九年六月三〇日金二、四〇〇円、(ホ)同年一二月三一日金二、四〇〇円以上計二三六、八〇〇円を預け入れ(甲第七号証の二にはその外に預入の記載があるが、これは右(一)説示と同様無効の金利を記載したものである)、前後八回に金五四、〇〇〇円を払い戻し、昭和三〇年一〇月末日現在で残高金一八二、八〇〇円であることが認められ、右各証拠のうちこの認定にてい触する部分は採用しない。甲第七号証の一、二の預金通帳は前示無尽会社発行の通帳であるところ、控訴銀行が同会社営業全部の譲渡を受けた後に、同通帳の発行名義を控訴銀行に変更しないで、そのまま所長中村嘉一が控訴銀行のために結城ミツの預金を受け入れて同通帳に記載した場合においても、その効果の控訴銀行に及ぶのは当然であり、証拠によると、結城ミツは前示無尽会社堅志田営業所が控訴銀行堅志田出張所となつてからも格別気にもとめず、右会社発行の通帳をもつて控訴銀行に対し預金をなし、所長中村嘉一においても控訴銀行のためにこれを受け入れていることが認められるのであつて、要するに、預金通帳の発行名義が前記の無尽会社堅志田営業所支店長代理中村嘉一であり、控訴銀行が同会社の営業全部を譲り受けて、堅志田営業所をそのまま控訴銀行堅志田出張所(営業所)とし、中村嘉一が引き続いて同出張所長であるということの認められる本件においては、無尽会社発行名義の通帳の名義を訂正変更しないでそのまま控訴銀行堅志田出張所の通帳に流用することの当不当はともかく、これを流用したからといつて、その通帳になされた預金が控訴銀行に対する預金でないということはない。

(三)  ところで、前記甲第四〇号証の一、二、三、前示満留義雄の証言、当事者弁論の全趣旨によると、前説示のとおり控訴銀行は大蔵大臣の認可を受け大平殖産無尽株式会社の営業全部を譲り受け、当時の相互銀行法附則第五項(現行法第六項に当る)、相互銀行法第一六条第一項の規定により所定の公告新聞紙に昭和二八年八月一一日附で「当会社は昭和二八年八月一〇日の臨時株主総会に於て大平殖産無尽株式会社の営業全部を譲受けることを決議したるにより、之に若し御異議のある債権者は昭和二八年九月一〇日迄に御申出相成度商法及び相互銀行法の規定により公告致します」旨公告し、この公告は右無尽会社が営業上負担する債務を控訴銀行において引き受けたものと債権者が一般に信ずるに足るものと認められ(昭和二九年一〇月七日最高裁判所判決八巻一〇号一七九五頁)るし、なお大平殖産無尽株式会社においても、反証のない本件においては控訴銀行に対し営業全部を譲渡するとともに遅滞なくその旨を公告したものと推認されるので、これらの公告により控訴銀行は右無尽会社が被控訴人松田スエ子、結城ミツに対して負担する前示預金債務を引き受けこれにつき右両名において異議がなかつたものと解すべきであり、この効果は、かりに右無尽会社と控訴銀行との間の営業譲渡契約の際右被控訴人両名の預金のあることが判明しておらず、これにつき個別的に債務を引き受けることの約定がなされなかつたとしても、変りはない。

四、控訴銀行は、本件預金をなすについて被控訴人らに過失があるから控訴銀行の預金返還の責任及び金額につき、右過失を参酌さるべきであると主張するが、以上認定の預金額とこれに対する日歩一〇〇円につき六厘の金利債権を、なおそれ以下に減額すべき被控訴人らの過失は存在しないので、控訴銀行の過失相殺の抗弁は排斥する。

五、被控訴人本田喜与蔵、稲田茂の請求は全部正当であるから認容すべく、その余の被控訴人らの請求は原判決認容の限度において正当であるから、これを認容し、その余は失当として棄却すべく、これと同旨の原判決は相当で控訴は理由がない。

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